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2023年2月:京都ロームシアター×京都芸術センターU35創造支援プログラム“KIPPU”として新作本公演を予定。

劇評④大川朝也 氏

大川朝也(配信アーカイブをを鑑賞)


救いと欲求

「救うか殺すかしてくれ」と言うタイトル通り、劇中では主人公・西(=西マサトさん)が「救ってくれ」「死にたい」と頻繁に口走る。


自己肯定感が低く、ネガティブですぐに自分を卑下してしまう西は、常に誰かに救いを求めている。西の言う「救われたい」とは恐らく「認められたい・受け入れられたい」という、いわゆる承認欲求だ。


この承認欲求というものが常に作品の後ろにあり、べっとりと張り付き、付け回してくるような不快感があった。


恐らく西自身はその自分の心を覆っているものが承認欲求だとは気付いていない。分からずに、ただ、寂しさから救ってほしいと願っている。作中のセリフにもある通り自分のことは自分でもわからないもので、恐らくこの言葉には多くの人が共感するところだと思う。


この承認欲求は誰しもが持ち得るものであるため、舞台上で扱われているものや起こっている出来事は決して他人事ではない。

またSNSはこの承認欲求を助長すると言われており、特に人と会うことが憚られるコロナ禍ではSNSを見る機会も増えているため尚更のこと舞台上で見え隠れする気持ち悪さを無視することができない。


西の承認欲求を満たすための言動や、寂しいという感情を私は痛い程に分かってしまう。

だからこそ見ていて苦しかったし目が離せなかった。


しかし辛いことに私たちには西を、もしくは実生活で西のような人の欲求を満たしてあげることはきっとできない。

西を救うには、恐らくこちらの身も心も時間も全てを投げ捨てて尽くしてあげないといけない。なんとなくそれが分かってしまうからそもそも救おうとすらできず、街中で泣いている西には誰も声をかけなかった。

振り返ると、きっと私も泣き喚く西の隣を素通りしていたことになるんだと思う。



脚本もデータで購入できたので早速拝見したが、改めて構成やセリフがとてもよく練られていると感じ大変面白かった。

救いはあるが救えない。タイトルも皮肉が利いている。


「救ってほしいのに、誰も救ってくれない」

と、西は言うが、しかし作中の至る所で、救いの手は確かに差し伸べられている。

西自身がその手を無意識の内に払ってしまっているのである。しかし、やはりそのことも気付かず西はずっと苦しみ続ける。


愛されたいが故に自分を卑下し、不幸に見せ、相手に救わせようとする。

この行動が相手をイラつかせてしまったり、利用していると取られ距離を置かれる。

そしてまた「死にたい」と口にし、それを見た誰かがまた救わなきゃと思い手を伸ばして・・・の繰り返しで終わりがない。


しかも西はその中で誠実でいようとする。下心がないかのように振る舞い、キレイでいようとする。

しかし蓋を開けてみるとつい他の女性とデートに出かけたり、好きにならないと言いつつ恋愛感情を抱いていたりという面が見えてくる。

自己肯定感は低いのにプライドは高いのか、自分のことを口では汚いと言いつつもキレイでいようとしてしまう。

それも救ってもらおうとする気持ちがそうさせるのか、自分を偽ってしまい辛い思いをする。

最後はあれだけ泣いていたのにも関わらず、セクキャバでセクキャバ嬢(=浅野有紀さん)にチューしてもらい、延長までしてかまってもらうことで気持ちを切り替えることができてしまう。しかも延長したことを同僚の男2(=大石英史さん)に茶化されると「断れなかったから」とまた見栄を張る。

(あぁ、救えないな・・・)と思ったところでカップルの男(=北川啓太さん)が雇った殺し屋(=御厨亮さん)にナイフでめった刺しにされ殺されてしまう。


そしてその後の会話も印象的。

西は死後の世界で「死にたくかった」と何度も言いつつ、(恐らく自分が作り出した)神様(=浅野有紀さん)に存在を肯定してもらい「ホッとしますね」と言い暗転。

次のシーンでは殺しの主犯格の二人が西に全く関係のない、取り留めない会話をして暗転。そのまま幕が降りる。

あぁ、救いがない。


作中に救いはあったのに、救われず、殺されて、救いがない終わり方をする。

凄い構成、そしていいタイトルだと感服した。


✴︎✴︎


また、どの場面でも救われる側は毎度男性で、救う側が女性という構図も気になった。

男性は承認欲求を満たそうとする時、女性を利用しようとしてしまう瞬間がある。

そんな光景をよく見てきたし、もしかすると気付いていないだけで自分もそうしてしまっていたかもしれない。


もちろん女性が男性を利用することもあろうが、やはり男性側から、の方が多いように感じる。


この作品の男性はどことなく弱々しく、物腰も柔らかい。が、言動を見ているとどこか女性を自分を癒すためのツールとして捉えているような、そんな風にも見える。

逆に女性達は力強く、頼もしさすら感じる。嫌だと思ったら嫌だというし、会いたくないと思ったら会いたくないとはっきり伝える。自分というものをしっかり持ち、それを守るための意思をしっかり提示できる。


尊厳や権利などを無意識的に搾取しようとする男性と、そんな人から身を守り自分の権利や主張を奪われないようにする女性との対比。恥ずかしながらジェンダー問題やフェミニズム的な意見にはそこまで明るくないので自分ではこれ以上の深堀はできないが、もしかするとこの作品ではそんな見方もできるのかもと考えた。


✴︎✴︎✴︎


結局のところ、承認は他者からしか得られないが、かと言って欲しい欲しいと求めてもキリがないもの。

私たちはこの承認欲求にどう折り合いをつけ共生していくかを考えるのが大切なのだと思う。

私はよくYouTubeで心理学やビジネス系の動画を見ているが、この承認欲求関連の動画はよく見かける。

YouTubeの動画では淡々と説明が行われていくが、この劇を観るとその重要性がよく分かるし、劇的体験と共に承認欲求について自分なりに思案し行動しようといった気にさせてくれる。


私は常々、「いい演劇には心理学的な要素が含まれており、また下手なビジネス書よりも面白い」と思っており、本公演でもそのことをひしひしと感じた。


まだまだ歴も浅く、若輩者である私の意見ではあるが一見の価値がある作品だととても思う。


ちなみに、私は劇場まで足を運ぶ予定だったが急な体調不良の為、泣く泣く後日に動画で観ることとなった。

その時Twitterで見ていた感想の中に「声が小さい」とか「劇場の大きさに合っていない」とかと言う感想があったが、動画で観ていた分にはそんなことないと感じた。

マイクの性能がいいのか?むしろ大きすぎて音が割れているくらいだった。声に関しては違和感はなく、むしろ面白いなと思えたくらいであった。

好みや環境の問題もあるかもしれないが、動画でも十分に楽しめると思う。少なくとも声が遠いとかは感じないはず。


まだの人はぜひ。

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大川朝也

1995年8月19日生まれ。

香川県出身で就職の関係で2016年に大阪へ移動。正社員として働いている。

2017年より、演劇活動を始める、今では昨年9月に立ち上げた『劇団白色』の代表として大阪を中心に活動を行っている。

当劇団の旗揚げ公演では作・演出を務め、俳優として舞台にも立った。